はじめに(要旨)

『星つなぎのエリオ』を観て、字幕版の少なさへの違和感と、物語が描く「居場所」のテーマが重なった。結論から言えば、複数のコミュニティに足場を持つことが、結果的に元いた場所の意味を取り戻す力になるという話だ。

鑑賞背景と字幕版の少なさ

ディズニーやピクサー、イルミネーションなどの子ども向け映画は、英語音声(字幕あり)の上映回が地方で極端に少ない。岡山県倉敷市でもアニメの字幕上映はほぼ皆無で、『星つなぎのエリオ』も例外ではなかった。

ちょうど彼氏のフィリピン帰省の迎えで新大阪に行く用事があり、翌日に神戸須磨シーワールドへ行く予定も重なったため、OSシネマズミント神戸の21:15回で鑑賞できた。

英語教育が小学校で必修化されて久しいのに、子ども向け映画が吹替一辺倒なのは不可解だ。作品はまず「つくられた言語」で味わいたい。日本語作品は日本語で、英語作品は英語で——その当たり前をもう少し選べる環境であってほしい。

作品の概要(ネタバレ軽め)

本作は「子ども向けファーストコンタクトSF」。両親を亡くし叔母と暮らすエリオは、宇宙関連の仕事に就く叔母の影響もあって地球外生命体の存在を信じ、会うことに執心している。周囲から浮き、居場所を失いがちな彼は、やがて宇宙連合的なコミュニバースに迎え入れられようと奮闘する。

オマージュの手触り

鑑賞中、古典SF/映画への参照と思しき場面がいくつもあった。宇宙船の光に包まれる迎え入れ、友人グロードンの成人の儀、侵入作戦でのクローン囮など。具体的な典拠を即答できないもどかしさも含め、ジャンルの歴史を辿り直したくなる。

自分は2000年代以降の作品に偏っていて、古典を十分に観ていない。冗長さや当時の制作事情に耐性が低いのも事実だが、まとまった時間を作って履修したいと強く感じた。

テーマ考察:世界は広い。居場所は増やせる

ネタバレ注意

この先は本編のネタバレを含みます

エリオは家庭でも学校でもボーイスカウトでも浮き、居場所を見失っている。コミュニバースで「地球代表」として受け入れられるチャンスを得た彼は、つい嘘をついてでも席を得ようとする。しかし最後には、その嘘を超える優しさと勇気を示し、コミュニバースにも確かな居場所を築く。

それでも彼は地球に残る決断をする。いったん遠くへ出て外側から見直すことで、元いた場所にも確かに自分を待つ人たちがいたと気づく。居場所は一箇所に固定されるものではなく、複数のコミュニティの重なりのなかで更新されていく。

個人的な照応

自分の経験とも重なる。京都・太秦で育ち、西大路の工業高校、円町の会社、宇治の彼女の家と、少しずつ景色は広がった。会社を辞めてフィリピン留学、オーストラリアでのワーホリを経て、むしろ京都(日本)の良さを本当の意味で理解でき、もっと知りたいと思うようになった。

子どもの頃、『家庭』『学校』に加えてもう1つか2つ、年齢や関心の異なるコミュニティに出入りできていれば、もっと早く広い視野を持てたかもしれない。一方で、ずっと同じ人や場所を大切にし続ける幸せも確かにある。連絡先やSNSを定期的にリセットしてしまう自分には、羨ましく見える生き方だ。

まとめ

複数のコミュニティに関与することは、「今いる場所」を否定することではなく、その意味を回復する道でもある。エリオが見つけた居場所も、自分が海外から帰って再発見した京都も本質は同じ。結局、世界のどこにいても、誰と時間を重ねるかが、その場所を居場所に変える。