話題のドラマ『Heated Rivalry』をようやく完走しました。脚本の構成、演出の巧みさ、そして何よりキャストの熱量。久しぶりに没頭できる作品に出会えた満足感に浸っていました。

しかし、その余韻はSNSを開いた瞬間に冷や水を浴びせられます。主演のハドソン・ウィリアムズ(Hudson Williams)に対して、「クィアベイティングだ」という批判が殺到していたのです。

彼が自身のセクシュアリティを明言していないにもかかわらず、同性愛的な演出を含むプロモーションを行っていることが、一部の視聴者には「搾取」と映るようです。この騒動を見て、私の中に生まれた違和感と言語化できないモヤモヤを、ここで整理しておこうと思います。

商業作品における「宣伝」は罪なのか

まず前提として、ドラマや映画は「商業作品」です。巨額の予算が動き、多くのスタッフの生活がかかっている以上、作品を一人でも多くの人に届けるために効果的なマーケティングを行うのは、プロとして当然の仕事ではないでしょうか。

私自身、フリーランスとして働いている身として、自分の仕事や成果物をいかに他者に届けるかには常に腐心しています。その視点から見れば、作品のテーマに沿った魅力を最大限にアピールするハドソンの姿勢は、むしろ職務を全うしている誠実な姿に映ります。

それを「当事者性を明示しないなら搾取だ」と断じるのは、あまりに短絡的です。作品の世界観を拡張するためのパフォーマンスと、個人のアイデンティティを混同し、俳優に過度な「純潔性」を求める風潮には、危うさを感じずにはいられません。

キット・コナーの悲劇と「未確定」である権利

この騒動を見ていて脳裏をよぎったのは、以前『Heartstopper』の主演俳優、キット・コナーに起きた出来事です。

当時まだ18歳だった彼に対し、世論は執拗にセクシュアリティの開示を迫りました。結果として彼は、自身のタイミングではなく、外圧によってバイセクシュアルであることをカミングアウト「させられ」てしまった。あれは明確な暴力でした。

彼らはまだ10代、20代の若者です。1988年生まれの私自身、30代後半になった今でこそ、ある程度自分の輪郭が見えてきましたが、あの頃はまだ自分が何者なのか、確固たる答えなんて持っていなかったように思います。

たとえ彼らが何歳であったとしても、セクシュアリティという極めてプライベートな領域を、他人に土足で踏み込まれ、証明を強要される筋合いなどあるはずがありません。「ラベル」を貼ることを拒否する自由さえも、彼らからは奪われてしまうのでしょうか。

『ボーイフレンド』と文化の摩擦

視点を日本に向けてみます。Netflixのリアリティショー『ボーイフレンド』シーズン2が完結し、出演者たちが様々な企業とコラボレーションしているのを見かけます。私の視聴履歴に基づいたアルゴリズムのフィルターバブルかもしれませんが、同性愛者や両性愛者が、当たり前の隣人として社会に溶け込んでいる風景を見るのは、純粋に嬉しいものです。

ただ、ここでも懸念はあります。出演者の一人であるイザヤさんが「自己中心的だ」と批判されている件です。

彼は日本人ですが、海外での生活や仕事の経験が長く、コミュニケーションのスタイルが非常に欧米的でストレートです。NoはNoとはっきり言いますし、自分の権利を主張することに躊躇がありません。

時にそれが、察する文化の強い日本においては「強すぎる」と感じられることもありますが、それは「わがまま」なのではなく、単なるバックグラウンドの違いによる作法の差であることが多いのです。

リアリティショーはあくまで「ショー」であり、演出や編集によって切り取られた一面にすぎません。その断片だけを見て、その人の人格全てを否定するような言葉を投げつける。それは、私がもっとも嫌う「非効率で無意味な時間」の最たるものです。

「お天道様」と「ワンネス」の間で

私は精神的な探求として「ワンネス(全ては一つ)」という思想に惹かれていますが、同時に、日本古来の「お天道様が見ている」という感覚も大切にしたいと思っています。

匿名という隠れ蓑を着て、画面の向こうの誰かに石を投げる時、私たちは空を見上げることを忘れてしまっているのではないでしょうか。ハドソンやイザヤさんを批判している人々の「正義感」は、本当はどこに向かっているのでしょう。それは誰かを救うためのものではなく、単に自分の不安を埋めるための攻撃になってはいないでしょうか。

彼らが彼ららしく生き、それを私たちがただのエンターテインメントとして、あるいは隣人の物語として楽しむ。それ以上の干渉は野暮というものです。

庭の整地をしながら、そんなことを考えました。誰かをカテゴライズして安心するのではなく、わからないまま受け入れる「余白」こそが、今の私たちには必要なのではないでしょうか。